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 湯川会の昨年度の活動で、中間子第一論文の訳がおおむね出来上がっています。この作業の間に得た理解をもとに、うんと分かりやすい形の「超訳」も試みてはいかがでしょう。(070601; 070603 修正 T)

 フリー・コメント & ディスカッションに書きましたような考え直しにより、超訳の試みは一時休止(後回し)にして、まず「注と解説」に力を注ぐのがよいかと思っています。(070603 T)

§1. はじめに

超訳例1

 現在(1934年)の段階では、中性子、陽子、電子、光子という素粒子の存在が知られているが、これらの素粒子がお互いにどのように作用し合うかについては、ほとんど分かっていない。とくに、中性子と陽子がいくつもくっつき合って原子核を作り上げている理由が謎である。この問題について、ドイツのハイゼンベルクが1932年から1933年にかけて、3編の連続した論文を発表し、中性子と陽子の間の「位置交換」相互作用が、原子核の構造を作り出す上で、重要な働きをしているとした。

 ハイゼンベルクの考えは、水素原子と水素イオン各1個からなる水素分子イオンが電子をやりとりして結合していることからの類推に基づいている。中性子と陽子も電子をやりとりして、互いに陽子と中性子に変化し合うことによって、結びついているとしたのである。このとき、中性子は素粒子でありながら、陽子と電子の複合体でもあるという、すっきりしない考え方をしている。また、そういう複合体では、粒子のスピンと統計という量子力学的性質にも矛盾が生じる。

 1934年にイタリアのフェルミは、パウリが提唱した「ニュートリノ」という素粒子が存在するという仮説をもとに、ベータ崩壊の理論を作成した。ベータ崩壊とは、原子核内の中性子または陽子が電子または陽電子を放出し、その結果として、もとの原子核の原子番号が一つだけ変化する現象である。フェルミはこの理論で、ベータ崩壊の際、電子または陽電子と同時に、反ニュートリノまたはニュートリノが放出され、電子や陽電子が持ち出していない残りのエネルギーを運び去っているとした。そして、この理論は、中性子と陽子が1対のニュートリノと電子をしょっちゅうやりとりする形で相互作用をしている可能性を示唆するものであった。

 しかし、ロシアのタムとイワネンコがそれぞれ独立に示したところによれば、このような相互作用のエネルギーはあまりにも小さく、残念ながら、原子核内の中性子と陽子の結合を説明する役には立たないことが分かった。

 フェルミの理論のこの欠点を除くには、ハイゼンベルクとフェルミの両理論を次のような方法で修正するのがよいと考えられる。まず、ハイゼンベルクが考えたように、中性子と陽子は一つの「重い粒子」(のちに「核子」と呼ばれるようになったので、この訳では、以後、「核子」の語を使う)というものの別々の状態と見なす。そして、中性子状態から陽子状態への移り変わり(転化)には、つねに軽い粒子、すなわちニュートリノと電子、が伴うのではなく、転化によって放出されたエネルギーは、ときどき別の核子に吸収され、その核子が陽子状態から中性子状態に転化するのに寄与すると考える。もしも、この後者の過程の起こる確率が前者の過程の起こる確率よりも大きければ、中性子と陽子の相互作用は、同じ相互作用をフェルミ型のものとして考えた場合よりも大きくなる。他方、これによって軽い粒子の放出確率はほとんど影響を受けないので、フェルミのベータ崩壊理論はそのまま生き残ることになる。

 さて、このような中性子と陽子の相互作用は、荷電粒子同士の相互作用が電磁場によって記述されるのと同様に、力の場(核力の場)によって記述出来るであろう。上に述べた考察に従うならば、核子と核力の場との相互作用は、軽い粒子と核力の場との相互作用よりもずっと大きいことになる。

 素粒子の振る舞いを取り扱う量子論によれば、電磁場はその力の仲立ちをするものとして光子を伴っている。いま述べた核力の場は、それと全く同様に、新しい種類の量子を伴っているはずである。(この粒子がもつと推定される質量が、§3で述べられるように、電子と陽子のそれぞれの質量の中間の大きさであることから、この量子はのちに「中間子」と呼ばれることになる。このあと、訳中では「中間子」の語を使う。)

 この論文では、核力の場とそれに伴う中間子の性質について概略の議論をし、また、それらの性質と原子核構造の関係についても考える。

 中間子の交換によって生じる交換力や、通常の電磁場の力のほかに、素粒子間にはさらに別の力が働いている可能性もある。しかし、これについては差し当たり考慮しないことにする。

070601 T, 070602 修正 T

超訳例2

 この論文のタイトルにある素粒子とは、湯川がこの論文を書いた1934年ころには中性子と陽子のことをさしていた*1。この論文が書かれた背景には何があったのであろうか。

 1929年にハイゼンベルクとパウリの量子電気力学―いわゆる場の量子論―が発表されたが、β崩壊 *2や原子核の構造に関しては、詳しいことがわかっていなかった。ボーアなどは、原子核内では量子力学やエネルギー保存の法則さえ成立しないであろうと主張していた。これは、原子核が陽子と電子とから作られているという当時の仮説に対する困難*3と、β崩壊の時に観測されるβ線のスペクトルが連続的であるという現象がうまく説明できないことによるものであった。

 しかし、1932年2月にチャドウィックにより中性子が発見*4され、原子核が陽子と中性子により構成されているという考え方が出てきた。ハイゼンベルクは陽子や中性子の間に働く力について具体的な理論を 展開した。それによると中性子と陽子の間に働く力を、水素原子と水素イオン間に働く力との類推により 説明しようとした。すなわち、中性子を陽子と電子からなる複合体 *5と考え、相手になる陽子との間での電子の位置交換によって力が生じると考えた。

 一方、フェルミは、パウリのニュートリノ仮説*6をとりいれ、電子とニュートリノに場の量子論を適用したβ崩壊の理論  *7 を発表した。

 この理論によると中性子と陽子の間で、一対のニュートリノと電子との相互作用を考えることができるが、タムとイワネンコによる検討結果によると、ニュートリノと電子による交換力は、実際の核力に比べると桁違いに小さいことがわかった。

 この結果をうけ、湯川は核子*8が中性子状態から陽子状態に転化するときにニュートリノと電子*9がかかわるのではなく、転化の際に放出されたエネルギーは別の核子により吸収され、陽子状態から中性子状態に転移すると考えた。このとき、ニュートリノと電子の放出を伴う過程より後者の過程の起こる確率が大きいと仮定すれば、フェルミ仮説による相互作用より大きくすることができる。このような相互作用を、荷電粒子間の電磁場の場合と同様に考えて、電磁場の荷電粒子を核子に置き換えて考えてみると核子間の相互作用に関係する電磁場のような力の場を考えることができる。場の量子論によると電磁場が光子を媒介とする相互作用であるのと同様に、核子の相互作用に伴う場にも何か新し量子を伴っていると予測される。

 以上のような、背景と電磁場に対する場の量子論からの類推により、核力の問題とβ崩壊の問題について 湯川は一挙に答えを出そうとした。

070602 M


Tag: 第一論文 超訳 ベータ崩壊 ボーア


修正意見等を書き込んでください。もちろん直接修正してもらってもかまいません。

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  •  Mさん、すばらしい「超訳2」を書かれましたね。ただ、超訳の意図がMさんと私とでは少し異なっていたようです。私は、詳しい記述は昨年度に作成してきた「和訳」とそれにつける注釈にまかせて、物理の予備知識があまりなくても、さらりと読み流して大筋を理解できるようなものにしようと思っていました。したがって、あとの章では数式を大幅に省略するつもりです。他方、Mさんの超訳は、注を含めて、相当詳しい解説のスタイルになっています。どちらの行き方もそれぞれ意義があるかと思いますので、両方それぞれのスタイルであとの章も書いてみましょうか。 -- T 2007-06-02 (土) 07:35:49
  •  和文で大量のいたずらの書き込みがあり、削除しました。 -- T 2007-12-29 (土) 09:50:52
Counter: 7408, today: 1, yesterday: 0

*1 「・・・素粒子といういい方は、中性子と陽子のこと、だから素粒子の相互作用はまずこれになる。・・・」『ベータ崩壊の古代史』(湯川秀樹 1974年)
*2  原子がβ線(電子または、陽電子)を放出して、質量数は同じで原子番号が1だけ違う他の原子核に変化する現象。 
*3  統計とスピンの保存則が、観測事実と一致しない、磁気能率の大きさが実験値と一致しない。また、原子核内のような狭いところに電子のような小さな質量の粒子を閉じ込めておくことは、困難であるということ。
*4  同じ月にユーレーが重水素の分離に成功し、コッククロフトとウォルトンがリチウムに陽子をぶつけて二つのα粒子に分解することに成功した。8月にはアンダーソンが、陽電子を発見した。このため1932年は実験家にとっては、理論家にとっての1925年と同じくらい記念すべき年となった。 
*5  「・・・一九三二年になって、中性子が見つかって、こうなるとハイゼンベルグが原子核モデルを創った。・・・皆さん誰でもよく知っていることになるわけですけれども。しか しまた皆さん原論文をお読みになるとわかるんですけれどもね、彼はどういうイメージを持 っとったかというとですね、非常に混乱してるんですね。ある時には中性子は素粒子だというん ですね。したがって、今日いうアイソスピン(荷電スピン)というようなことを当時彼が持ち込むわけですね。要するに、中性子と陽子は、何かある今の言葉でいえば核子という、当時はまだこの名前はついていませんでしたけれど、そういうものの二つの違った状態だなんどともいうわけです。一方でそういっているけど、他方では、中性子というのは陽子と電子の寄り合ったもの、複合体だということもいうてるんです。私も大いに混乱させられました。・・・」『ベータ崩壊の古代史』 
*6  β崩壊で放出される電子のエネルギーが0から有限の値まで連続的に観測されていて、β崩壊前後でのエネルギーの保存則が満たされない。そこで、パウリは1929年ころ、β崩壊では電子とともに、実験的には見つかっていなかったneutron―パウリは、ニュートロンと呼んだ―という粒子も同時に放出され、エネルギー保存則はまもられるとした。 
*7 フェルミは、チャドウィックが中性子を発見したために、パウリのニュートロンと区別するためにパウリの"中性子"を"neutrino(ニュートリノ、または中性微子)"と呼ぶことにした。パウリは論文の形でニュートリノ仮説を発しなかったため、湯川は、フェルミの理論を知るまでニュートリノ仮説を知らなかった。「・・・私もこのハイゼンベルグの論文を勉強している当時はまだパウリのニュートリノを知らないんです。・・・フェルミは当時はイタリアのローマにいたんでしょうね。最初に出た(1933)のはイタリアの雑誌 Ricerca Scientifica ですか、その時は知らなかった。次の年(1934)になりまして Zeitschrift fur Physik に出たのを私読みまして、あ、やられたと思ったですね。・・・」『ベータ崩壊の古代史』
*8  論文の中では、核子ではなく重い粒子(heavy particles)と書かいている。 
*9 論文の中では、ニュートリノと電子を軽い粒子(light particles)と書いている。

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Last-modified: 2007-07-04 (水) 20:12:57 (3646d)