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中間子論のきっかけ

赤ちゃんが求心力となって夫婦を密着させる

 5月24日の朝日夕刊に、中間子論着想のいきさつを柔道家に語ったことが載っていました。

 「産気の知らせに産婦人科にかけつけた。その途中に思い浮かんだ。赤ちゃんが求心力となって夫婦を密着させる。そんな力が原子核の中に存在するのではないか」

 切抜きをブリーフケースとHPにおきました。HPのアドレスは次です。

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 こんな話、ぼくは初耳でした。

S

湯川のジョークでは

 私もその記事を読みましたが、初耳です。実際のいきさつというより、専門外の人にわかりやすく、また、面白く話した湯川さんのジョークの一つではないでしょうか。本当のいきさつは、ハイゼンベルクやフェルミの理論を参考にし、かつ電磁場のアナロジーを用いたということだと思います。

 私は学生時代に、湯川さんと同期の木村教授の原子核実験に関する講義の中で、

『荘子』にこんな言葉がある。ぼくは湯川君の中間子論はここからヒントを得たのではないかと思って聞いてみた。

という話を聞いた記憶があります。『荘子』のどういう言葉だったか、昨夜来、岩波文庫版の索引で見当をつけて探していますが、はっきりしません。(この種の話がときどき登場した木村さんの講義は、学生たちから「浪花節調」といわれていました。)

 たとえば、「陰陽相照、相蓋相治」(陰陽相い照らして、相いそこない相い治む)という言葉があります。これが陽子と中性子の相互転化を示唆したのではないか、と木村さんが思ったとも考えられますが、もっと別の、中間子自体を連想させるような言葉だったかも知れません。湯川さんの木村さんへの答えは、「まさにそれでした」というようなものではなく、「それも念頭にあったかも知れません」という程度のものだったと思います。

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中間子を思わせる『荘子』の言葉

 前の節に書いた、中間子論着想のヒントになりそうな『荘子』の言葉が何か、また気になって探してみました。すると、次の言葉を見つけました。

「出ずるあり、入るあり。入出してしかもその形を見るなし。」(岩波文庫版『荘子』第三冊, p. 211)

これは核力を媒介するときに仮想粒子として出没する中間子にぴったりのようですが、私の考え過ぎかも知れません。Ha-ha!

T [01682] (100115)

新粒子の仮定は欧米では許されなかった

本当のいきさつは、ハイゼンベルクやフェルミの理論を参考にし、かつ電磁場のアナロジーを用いたということだと思います。

 このあたりのことは、前回の定例会の話題でしたよね。(06年)3月19日の定例会でも、私がお話させていただきました。あのときのパワーポイントのスライドを配布資料用にまとめました。次からダウンロードできます。

http://www.geocities.jp/sci_museum_saito/060319gif/060319saito.pdf

 次は、聞きかじりと、ぼくの想像をちゃんぽんにしたものです。

 ハイゼンベルグなど欧米の天才たちも中間子論の一歩手前までたどりついていた。しかし、欧米での伝統で、彼らは新粒子を仮定できないために苦労した。ひょっとしたら、彼らも既に湯川さんと同様の結果を得たいたのかもしれません。ただ、新粒子を仮定するということは、当時の欧米では許されないことだったので、だれも論文発表などにはしなかった。実際、米国の誰かが湯川さんと同じことをしていたのだが、パウリにつぶされたという話を聞いたことがある。新粒子を仮定するということは、いなかものの象徴のように映っていたのではなかろうか。湯川論文に対する冷たい反応(オッペンハイマーの論文掲載拒否、ボーアの揶揄など)からの推測です。

S

 後日の注:「湯川と同じことをしていたが、パウリにつぶされた」という人は、シュツッケルベルクのことと思われます(シュツッケルベルクも考えた参照)。(T)

シュツッケルベルクも考えた

大御所のパウリが一蹴

 坂東昌子さんが2007年4月10、11日のA紙に「湯川理論発見の足取り 上・下」という文を書かれました。おおむね私たちの知っている話です。

当時のヨーロッパの雰囲気は、見たこともない新しい粒子があるなんて、「とんでもない」という雰囲気だったそうです。

として、『旅人』に

当時の私の頭の中には、何とか既知の粒子だけで、この自然界を理解したいという、保守的な気味がまだ強く残っていた。

とあるのを引き、

湯川も例外ではなかったわけです。

と述べています。次いで、

ヨーロッパでも新粒子を導入しようとした人(シュツッケルベルク)もいたようですが、大御所のパウリに一蹴されたという話です。

とあります。私はちょうど最近、このシュツッケルベルクの話を Y. Ne'eman and Y. Kirsh, "The Particle Hunters" 2nd ed. (Cambridge University Press, 1996) で読み、皆さんに紹介したいと思っていたところでした。シュツッケルベルク(Ernest C. G. Stueckelberg)は、湯川の中間子論にどこまで近い考えを抱いていたのでしょうか。Ne'eman らは "identical" と書いていますが。

T

シュツッケルベルクの論文

 シュツッケルベルクがミューオン発見のすぐあとに書いた論文を下に置きました。

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 シュツッケルベルクのことを長島先生(阪大でニュートリノ実験をされていた先生)が数年前に物理学会誌に書かれていました。湯川の著作を引用されての記述でした。今、資料が見当たりません。見つかったら報告します。

S

 後日の注記:長島論文については次々節参照。

フェルミ場の理論に近い

 ご紹介の論文は、

  E. C. G. Sueckelberg, On the existence of heavy electrons, Phys. Rev. Vol. 52, pp. 41-2 (1937).

ですね。私も、L. M. Brown and H. Rechenberg, "The Origin of the Concept of Nuclear Forces" の p. 68 注 [61] で、この論文の概要とそれに対する簡単な評価を知ったところでした。次のようなことが書いてあります。

 シュツッケルベルクは、電子、ニュートリノ、および核子が単一の「物質場」の諸様相であるとする「ユニタリー理論」を提唱した。この理論は湯川が強・弱の2結合定数を用いたのとは異なり、ただ一つの実効的結合定数をもつもので、考え方としてはフェルミ場の理論に、より近いものである。

 それでも、湯川の「U場に伴う量子」に似た「重い電子」を考えていたようですから、パウリが一蹴しなければ、湯川とノーベル賞を分け合うことになっていたかも知れませんね。

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湯川とシュツッケルベルクの出会い

 前々節に、Sさんが言及されている長島先生の論文が分かりました。

  長島順清, 素粒子の物理―先駆と展開の鳥瞰, 日本物理学会誌 Vol. 60, p. 171 (2005)

です。p. 172 に

湯川と同時期に同じアイデアを考えついたシュトゥッケルベルグ(ママ)(E. C. G. Stueckelberg) は、パウリに酷評されて発表をあきらめたという逸話が残っている.1)

とあり、文献1) として、

  湯川秀樹, パウリ教授を追悼して, 『創造の世界:湯川秀樹自選集 4』p. 419 (朝日新聞社, 1971)

が挙げられています。そこには、湯川がシュツッケルベルクに1958年7月の国際会議で初めて出会い、

「あなたには、もっと早くお目にかかっておるべきはずだった。」

というと、シュツッケルベルクが

「もしもパウリが私をやっつけなかったら、私もあなたと同じ頃に、中間子論を提唱していたはずだ。」

と答えたことが記されています。

T [01680] (100113)

シュトゥッケルベルクの留学希望

 少し前に、図書館から『仁科芳雄往復書簡集〈2〉』を借りて、読んでいると、1937年ころに、シュトゥッケルベルクから湯川へ送った手紙が掲載されており、そこには、ぜひ日本へいって(中間子論について)勉強したい、という相談が記されていました。その手紙について湯川が仁科に相談した手紙、また、それにこたえて仁科からシュトゥッケルベルクへ出した手紙が掲載されていました。仁科からシュトゥッケルベルクへの手紙は、日本で外国人が滞在するたに必要な生活費の目安や、中間子論に関する研究者の状況、また外国人に対する奨学金制度は、用意されていないなどが記されていて、丁寧に相談にのっている内容でした。

 いま、手元に『仁科芳雄往復書簡集〈2〉』はありませんので、細部には誤りがあるかもしれませんが、中間子論が発表されてから、湯川のいる日本で研究をすすめたいという気持が、シュトゥッケルベルクにはあったようです。

M [01681] (100114)


Tag: 中間子 着想 シュツッケルベルク パウリ 仁科芳雄 ボーア シュトゥッケルベルク シュトゥッケルベルグ


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最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 見出しへのリンク例を作っていただき、ありがとうございます。(その前後の余分な語句等を削りました。)-- T 2007-04-17 (火) 08:30:24
  • 「湯川とシュツッケルベルクの出会い」の項を設けました。 -- T 2010-01-13 (水) 20:01:51
  • Mさんのメールにもとづいて「シュトゥッケルベルクの留学希望」の節を設けました。 -- T 2010-01-15 (金) 14:28:10
  • 「中間子を思わせる『荘子』の言葉」の節を設けました。 -- T 2010-01-15 (金) 20:46:46
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Last-modified: 2010-01-15 (金) 20:45:38 (2658d)