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[関連ページ]  湯川と古典


天地は万物の逆旅

哲学がヒントになることもある

[research_yukawa][00210] 逆旅は「げきりょ」と読みます。

月刊うちゅうに書いた「釈迦の教えとクォーク」という変な読み物を読んだある会員さんからお手紙をいただきました。 湯川は晩年?「素領域」という概念を提出しますが、素領域のお話をするときこの言葉をよく使ったのだそうです。「湯川、天地は万物の逆旅」でググルと何か出てきます。興味がある方はお調べ下さい。

物理は物理、哲学は哲学ですが、物理を考えるとき哲学がヒントになることもあるということなのでしょう。

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自選集第5巻「まえがき」に

「湯川、天地は万物の逆旅」でググルと何か出てきます。

早速ググリました。9個のヒット中の最初にあった 湯川秀樹著『遍歴』を読んで から、湯川さんは『湯川秀樹自選集』第5巻(朝日新聞社, 1971)の「まえがき」で「天地は万物の逆旅」にふれていると分かりました。その「まえがき」を見ると、

私は1964年ごろにそういうことに気がついて、物理学者の集りで、「いれもの」としての時間・空間と、「中味」としての素粒子の間の相互規定を考える手がかりになりそうだとして、この言葉を何度も引き合いにだした。

とあります。1964年といえば、湯川さんが57歳のときですね。上記引用中、「そういうこと」というのは、引用文より前に記されている大略次のことを指しています。

湯川さんは20〜30歳台の前半に芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭の「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり」という文に共感していた。この文の前半は、李白の「天地は万物の逆旅(宿屋の意)にして、光陰は百代の過客なり」からの引用であり、この李白の文の前半からは、「この世界は万物のために、ある種の受け入れ態勢を整えている」という含意を汲みとれる。

湯川さんは『荘子』の「原天地美 達萬物理」(天地の美にもとづいて、万物の理に達す)という言葉も好んでいました。朝日新聞1965年9月20日付けの「中間子30年〈上〉」という記事に、中間子論発表30年を記念して同年9月24日から30日まで京都で開かれた素粒子国際会議の招待状に、「これはぼくの気持をよく表わしているのだが…」との湯川さんの提案で、この言葉を招待状にすかしにして入れたと書かれています。

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文学にも造詣の深かった湯川

奥の細道の冒頭は李白を下敷きにしていたのですね。(高校時代習ったのだろうけど忘れてました。)なんか「行く川の流れは絶えずして...」ってのにも通じるのかなあ。

湯川さんは、環境から当然といえば当然という気もしますが、文学にも造詣の深い人だったのですねえ

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意識下の考えを李白の言葉が顕在化

Oさんのメール [00210]「天地は万物の逆旅」に関連して、私は湯川が『湯川秀樹自選集』第5巻(朝日新聞社, 1971)の「まえがき」で「天地は万物の逆旅」にふれていることを書きました([00212])が、『岩波講座 現代物理学の基礎11 素粒子論』(1974)p. 593でもふれていることが分かりました。

京大の川合光先生が『はじめての〈超ひも理論〉』(講談社現代新書, 2005)中で、上記『岩波講座…』の素領域について述べたところに「天地は万物の…」が引用されていることを述べ、「難しい素粒子論を李白の詩を引用して語っている。こんな話はふつうの物理の教科書には決して書いていませんし、それがまた面白かったのですが、いま改めて、この素領域理論が示唆的なものに感じられるのです」と書いています。そこで、『岩波講座…』を開いてみた次第です。

湯川は次のように書いています。

…[この節の初めの4行略]…広い意味の原子論的視点をさらに拡げて、時間・空間についても分割不可能な最小領域を想定してみたらどうであろうか。後になって思い返すと、こういう考えが漠然とした形で相当期間、意識下に潜在していたらしい。しかし、それを顕在化させる、もうひとつの動機となったのは、ある時 "天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり" という唐代の詩人、李白の言葉が念頭に浮んだことであった。逆旅とは宿屋のことである。万物はそれぞれ宿屋のどれかの部屋に泊る旅人である。どこかから来て、そこに泊り、やがてどこかへ去る。しかし天地全体が宿屋なら、その外へ出てしまうことはなかろう。同じ部屋に居続けるか他の部屋へ移るかの、どちらかである。あるいは時あってか旅人は死ぬことによって、この天地から消えてしまうこともあろう。そこで、もしも天地という代りに3次元の空間全体、万物という代りに素粒子という言葉を使ったとすると、空間は分割不可能な最小領域から成り、そのどれかを占めるのが素粒子ということになる。この最小領域を素領域と名づけることにしよう。

「素領域」の導入文としては長すぎるようですが、意識下に潜在していた考えを李白の言葉が顕在化させたという、湯川の思考過程が記録されていることは、貴重だと思います。

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「詩」ではなく「詩の前書き」

川合光先生が『はじめての〈超ひも理論〉』中で、湯川の「天地は万物の逆旅…」への言及について、「難しい素粒子論を李白の詩を引用して語っている」と書いておられることを先のメール [00280] で紹介しましたが、「天地は万物の逆旅…」は李白の「詩」ではなく、「詩の前書き」らしいですね。

岩波文庫版『芭蕉 おくのほそ道』巻末に添えられている蓑笠庵梨一(さりゅうあんりいち)の注釈書『奥細道菅菰抄(すがごもしょう)』によれば、「春夜桃李園ニ宴スル*1」の序にあるそうです。それで湯川は「天地は万物の逆旅…」をつねに「李白の言葉」と書いています。

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「科学と文芸:湯川博士の場合」

 以上のメール交換をもとに、関連の話(「渾沌」の話など)や考察を加えて、「科学と文芸:湯川博士の場合」というブログの記事にまとめました。ご参考になれば幸いです。

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Tag: 逆旅 古典


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  • 非常に参考になりました。感謝 -- アシカビヒコ 2011-07-16 (土) 07:15:46
  • リンク切れとなっていたブログ記事「科学と文芸:湯川博士の場合」について、改訂版記事へリンクを修正しました。 -- T 2011-07-17 (日) 08:22:29
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*1 詩の題名か

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Last-modified: 2011-07-17 (日) 08:23:38 (2138d)