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[関連ページ] 中間子論の誕生前夜から誕生まで 湯川のノーベル賞受賞までの背景


シンポジウム・プロシーディングス原稿から(ただし、プロシーディングスはモノクロ印刷)。

 

 J・J・トムソンによる電子の発見から湯川のノーベル賞受賞までの物理学における発見の流れを、湯川の経歴とともに、年表の形で概観する。

 
  • 1897年 ◇J・J・トムソン、電子を発見
  • 1903年 ◇J・J・トムソン、原子模型を発表
 
http://echoo.yubitoma.or.jp/room_7/tttabata/Yukawa-figs/tomson-model.jpg
 
J・J・トムソンの原子模型
(この図は不適切であり、近日中に差し替えの予定)
 
  • 1904年 ◇長岡半太郎、土星型原子模型を発表
 
http://echoo.yubitoma.or.jp/room_7/tttabata/Yukawa-figs/nagaoka-model.jpg
 
長岡の原子模型
 
  • 1905年 ◇アインシュタイン、特殊相対性理論を発表
  • 1907年 ◇湯川秀樹、生まれる
  • 1911年 ◇ラザフォード、原子核を発見
  • 1913年 ◇ボーア、原子論を発表
  • 1915年 ◇アインシュタイン、一般相対性理論を発表
  • 1923年 ◇湯川、第三高等学校に入学
  • 1925年 ◇ハイゼンベルク、行列力学を創始
  • 1926年 ◇湯川、京都大学に入学
         ◇シュレディンガー、波動方程式で量子力学を打ち立てる
  • 1927年 ◇ハイゼンベルク、不確定性原理を導く
  • 1929年 ◇湯川、京都大学を卒業。同大学副手として 理論物理学の研究に従事
  • 1930年頃[知られていた基本物質としての素粒子は、陽子、電子、光子だけ]
  • 1931年 ◇パウリ、中性微子(ニュートリノ)の仮説
  • 1932年 ◇チャドウィック、中性子を発見
         ◇アンダーソン、宇宙線中に陽電子を発見
         ◇コッククロフトとウオルトン、加速器による人工的原子核破壊に成功
         ◇イワネンコ、中性子が陽子とともに原子核の構成要素と指摘
         ◇ハイゼンベルク、原子核構造論を発表
 
http://echoo.yubitoma.or.jp/room_7/tttabata/Yukawa-figs/nuclear-model.jpg
 
原子核の模型
 
  • 1933年 ◇湯川、大阪大学の講師となる
  • 1934年 ◇フェルミ、ベーター崩壊の理論を発表
         ◇イワネンコ、タム、原子核の理論を発表
         ◇湯川、中間子論の着想、口頭発表
  • 1935年 ◇湯川、中間子第一論文発表
         ◇大阪大学にコッククロフト・ウオルトン型加速器完成
  • 1937年 ◇アンダーソンら、宇宙線中にミュー中間子を発見。中間子論に注目が集まり始める
  • 1939年 ◇湯川、京都大学教授となる。ソルヴェイ会議に行く途中、第2次大戦が起こり、アメリカに寄って帰国
  • 1942年 ◇坂田・井上・谷川・中村、2中間子論発表
 
http://echoo.yubitoma.or.jp/room_7/tttabata/Yukawa-figs/2-meson1a.jpg
 
宇宙線による中間子の発生:2中間子論
アンダーソンらの見つけたミュー中間子は、核力に関係する
パイ中間子が、崩壊してできたものと考える
 
  • 1947年 ◇パウエルら、核力に関係するパイ中間子を宇宙線中に発見
  • 1948年 ◇湯川、プリンストン高等研究所客員教授として渡米
  • 1948年 ◇湯川、コロンビア大学教授となる。ノーベル物理学賞受賞
 

Tag: 原子模型 原子核模型 二中間子論 物理学史 長岡半太郎 アインシュタイン アンダーソン パウエル ハイゼンベルク フェルミ トムソン ボーア チャドウィック シュレーディンガー


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Last-modified: 2017-07-09 (日) 18:25:58 (39d)